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<<   作成日時 : 2017/10/06 17:31   >>

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10月6日(金) 本当に寒くなった。今日はおまけに雨も降り出して・・・。このまま明日にかけて降り続くと、運動会が流れてしまうところも多いかも知れない。
 この間久しぶりに新聞のテレビ欄を見る機会があった。本当に久しぶり。このところのテレビの録画予約は、ハードディスクレコーダーの番組表を開いて、それを見ながら予約する。でも、紙の上で見る番組表は印象が全然違う。とにかく見やすい。全体が見られるので、自分の好きなところにすぐ目を向けることが出来る。楽しい。テレビ画面からの予約だと、いちいち移動したりしなければならないし、目が疲れる。新聞の方はずっと見てきたから、慣れというのもあるのだろう。
 そこで見つけた番組がBS朝日の「昭和歌謡 ふたりの絆!作曲家 船村徹×作詞家 星野哲朗 珠玉の名曲25」という番組。とにかく昭和を代表する歌謡曲の作曲家と作詞家。この二人の上を行く作家はいない、と言ってもいい。美空ひばりが復活したときに作られた歌が「みだれ髪」。この作品は素晴らしい!!そして美空ひばりの歌唱も。重い病から立ち直ってこんな難しい歌が歌えるのは美空ひばりしかいない。船村徹自身、ピアノを弾きながらこの曲の解説をし、最後に「この曲は素人は無理、玄人でもダメ、美空ひばりしかいない」と言っていた。それくらい歌うのが難しい。
 年は星野哲朗が上。大正14年山口生まれ。私の父と同い年だ。船乗りを目指していて、遠洋漁業の乗組員になったが、腎結核という病気にかかり、船から下りる。絶望していたときに横浜100周年の記念曲を作るという企画があり、そこに詩を応募した。何と、誰が作ったか分からないように選んだ結果、1等2等ともに星野の作品だった。それに文句を言った審査員がいた。それにクレームを付け、「いいものはいい」と結果通りにしたのが船村徹だった。その恩を星野哲朗は一生忘れることはなく、7才年下の船村徹のことを最後まで先生と呼んでいた。

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 船村徹という人は面白い。北島三郎の出世作「なみだ船」誕生の時の話。その当時はロカビリー全盛、何とか演歌に目を向けさせようと工夫していた。ある時銀座に飲みに行ったら火事に出くわした。サイレンが“ウーウー”と鳴り、みんながサイレンの方向を見ている。船村は「これだ!!」と思った。それで「なみだ船」の冒頭“なぁぁぁぁ みだぁのぉぉぉぉ ぉぉぉぉ〜”はサイレンの音だという。
 この歌のレッスンの時のことを側で見ていた星野哲朗が話す。「冒頭のこのフレーズだけ何時間も繰り返して練習していたので、“この人は狂っているんじゃないか”と思った」と話していた。それくらい徹底して歌作りに励んだ。では、この曲の冒頭が消防車のサイレンのように聞こえるかどうか???



 このような潮の香りプンプンの曲は昭和歌謡の神髄だと思うが、今の人には合わないかも・・・。でも、この時の北島三郎は声が前の方によく出ていて、パンチが効いていて、気持ちがいい。さすが、流しの演歌師として鍛えただけのことはある。船村が引っ張って来たようだが、「鼻の穴が大きいから、空気の吸い込みもいいのだろう」と話していた。
 船村徹×星野哲朗の曲で代表作は3つを上げると、「おんなの宿」「風雪ながれ旅」「みだれ髪」だと思う。これらは永遠に残る名曲!!他にもたくさん素晴らしい曲はあるのだが、本当に凄い曲はこの3つ。しかし、この番組の中で紹介された曲の中に駄作もあると思った。その詩を見ると、やはり説教臭いところがある。星野哲朗でもそうなる。言葉が響く詩ではなく、言葉で説明してしまっている。そういう詩だと、どうも曲の方も詰まらない。インスピレーションが感じられない。いい歌が出来るときというのは、沸き立つような詩のイメージに触発されて曲の流れが出来る、そんな気がした。

 


 

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